[ポロス] 2004年3月14日 サンルート札幌を引き継ぐ際、社員に回覧した設立趣意書

メモ:2004年3月14日 サンルート札幌を引き継ぐ際、社員に回覧した設立趣意書

◆ 株式会社ポロス 設立趣意・設立経緯について ◆

この度、私こと才式 祐久(サイシキ サチヒサ)が、株式会社ポロスを設立し、ホテルサンルート札幌の経営を預かることになりました。
ついては、株式会社ポロスの設立経緯や趣旨を書き留め、お取引様各位、従業員・スタッフの皆様、また従業員のご家族の方々にも、ご一読いただくために作成いたしました。
ご高覧賜れば幸いに存じます。


[私と札幌、私とサンルート]

 私と札幌の縁は、約10年前にさかのぼります。
当時、銀行や信用金庫の取引先顧客に、中小企業コンサルティングを行うベンチャーリンクという会社に在籍していた私は、北海道の地銀や信用金庫などを担当し、札幌はもとより、小樽・函館・苫小牧・室蘭・帯広・旭川などを営業訪問しておりました。
半年ほどホテル暮らしをしておりましたが、食べ物がとても美味しく、また冬場はスキー、人もとても暖かい人たちばかりということもあり、すっかり札幌・北海道が気に入り、将来の生活拠点としてとても良いなと考えていました。
そんな中で滞在したホテルは、サンルート・ワシントン・アイスバーグの3つでした。
当時の札幌営業所が南2西2にあり、サンルートにも良く泊まっていたいうことから、今回のお話をいただいた折にも、私が経営を引き継ぐイメージが具体的に想像できたのです。


[私のビジネスマンとしての生い立ち]

 私は、学習院大学理学部化学科を卒業し、当時同級生がいわゆる化成メーカーや製薬会社、化学商社等に就職していくなか、当時は全く無名の「ベンチャー・リンク」という今は東証1部に上場している経営コンサルティング会社に就職しました。

 このVLという会社は経営理念が2つあり

 1.日本の大半の会社は中小企業である。それゆえ中小企業の活性化こそ日本の活性化につながる。その中小企業の支援を行う
 2.独立精神旺盛な人材を育成し、その人材に巣立ってもらい、人材輩出機関たる会社になる

この理念にとても感動し、小さい頃から「他の人にできない何か」になりたかった私は、自分も社会の活性化の触媒になりたい、いずれは独立して、世の中にその商品やサービスを問いたいと思い入社をしました。
独立経営者を夢見て、VL時代の3年間は本当に寝食をわすれ、仕事邁進していました。
VLには、「ライフプランニング研修」というものがあり、毎年毎年自分のライフプランを年表にしてグループ内で発表するものです。当時、同期の新卒入社組は26名おりましたが、編集希望の女性1名を除いては、ほぼ全員が「社長になる」と目標を掲げるような会社でした。入社後、皆朝から晩まで、会社にやらされるのではなく、自分の将来のために、本当に良く働いていたと思います。
 私が働いた94年から96年は本当に恵まれた年でした。95年にVLが公開することになるのですが、公開する前の年、公開した年、公開した後の年と3年間在籍したことで、株式を公開する意味、公開したときにお客様の反応、また社内の人材の意識や人材像の変化等を肌で直に感じ、私の会社に対する価値観や考え方に大きな影響を与えました。
そして96年、当初の修行と思っていた3年間が過ぎ、独立の意志を固めていくのでした。
当時、「若手ベンチャーネットワーク」という若手起業家や起業家予備軍のための勉強会を行っていた私は、FAXで1000名、電子メールで5000名の方々に情報配信をしておりました。95年・96年当時、電子メールで5000人の読者が、1個人のメールマガジンにつくというのは、とてもものすごいことでした。その電子メールの大きな可能性を感じて、電子メールの情報配信や広告などを行う「メールニュース有限会社」を97年6月に設立し、ベンチャービジネスをスタートさせたのです。
私一人でスタートしたその会社は、その後4年間で従業員60名、売り上げ14億、営業利益3000万に成長しました。
公開企業としての成長を目標としており、公開のための準備も証券会社や弁護士のチェック等すべて整えたところ、すでに上場している会社から、合併の話がもちあがり、「上場か合併か?」の2者択一を、私は電通グループの傘下に入るという決断をし、2001年7月、電通・ソフトバンクの合弁会社「サイバー・コミュニケーションズ」に株式交換で会社を買収されました。
私が、築30年のおんぼろアパート「みやぎの荘あおい室」からスタートした300万円の有限会社は、22億4000万円という価値を認められるまでになったのです。
残念ながら、合併した公開会社の株価が、その後一番低いときで10分の1になったということもあり、自分の財産としては大きく残るという形ではありませんでした。ところが当時私のような30そこそこの若造が経営する会社に、30もの投資会社が列をなして投資をさせてくださいといい、実際7社から6億円も投資を受け、他のネットバブルの会社のようにすぐに全部を使うでもなく、5億円の手持ちキャッシュを持ちながら合併をしたのです。
お金という資産はたいして残りませんでしたが、この会社の経験はいかものにも代え難い経験という財産になっております。


[私の次の仕事]

今まで私は、「法人様」に対して、サービスを提供していたというビジネス上の経験をずっとして参りました。2003年の9月に、サイバーコミュニケーションを退任し、その後考えていたのは、今度は私は、「個人」様に対するサービス業を、自分の経験として持ちたいと思ったことでした。それは私のビジネスマンとしての経験の幅を広げる意味もありました。
今回のサンルート札幌の運営引継のお話をいただいた時に
 1.私が好きな札幌という場所で仕事ができる
 2.私が次にやりたかった「個人向けサービス業」ビジネスである
 3.私が10年前に宿泊したこともあり具体的にイメージできる
 4.自分自身の信頼おける情報ルートからのお話だった
このようなことから、すぐに検討させて欲しい旨、仲介の銀行様に申し上げました。

デューデリジェンスが進む中、サンルート札幌の特徴である、札幌駅徒歩3分という好立地であることや、サンルートのブランド名、またそれに伴う稼働率の高さに、非常に驚き感動し、自分が経営を行うイメージがさらに沸いたのです。
また人の面では、総支配人役の前田氏の人柄や誠実さ、何事にも逃げることなく物事にひたむきに当たっていく姿に、私はパートナーとしての役割に大いに期待するとともに安心もいたしました。
資金調達の面も順調に進み、まさに「ヒト」「モノ」「カネ」という、企業にとって大きな3つの条件がそろい、あたかもサンルート札幌が、私のために活躍の舞台を用意してくれたような印象さえ感じたのです。

この設立趣意書をお読みいただく皆様方のお立場は様々かと存じます。
お取引企業様には、従前にもまして、なお一層のご愛顧と良い仕事をお願いしたい。
従業員・スタッフの皆様には、新生サンルート札幌を是非盛り上げていく中心人物になっていただきたい。
またそのご家族の皆様には、家庭でのコミュニケーションを通じて、スタッフの方々の仕事のやる気と鋭気を与えていただきたい。

皆様方に対してそのような勝手なお願いばかりでございますが、ご関係者皆様方の応援を持ちまして、「新生サンルート札幌」を、札幌地区の「お客様に愛されるビジネスホテル NO1」にするべく、私、そして前田、またスタッフ一同が全員力を合わせて、全社一丸となり、新しい「サンルート札幌」の幕を開きたいと存じます。

今までのご厚情に感謝するとともに、新しいサンルート札幌を、是非これからもよろしくお願い申し上げます。


2004年3月14日

株式会社ポロス 代表取締役 才式 祐久
 

 
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